加地亮

強靭なスタミナで何度も右サイドを往復し、鍛えぬかれたその体で相手を食い止め、豊かな経験により裏打ちされた対人守備で相手の攻撃の芽をことごとく摘み、ふんわりとクロスを上げて見ている者をポカンとさせ、かと思えばFWもビックリのシュートを年に二回決める。

それが加地亮

彼との出会いは2004年アジアカップ、玉ちゃんが最高に輝いていたあの大会。
大学に入って少しずつサッカーも見るようになっていた私。しかし印象としては何だかパッとしねぇなぁ。
加地さんより、玉田・中澤・川口が心に残った大会でありました。

そして翌年から本格的にサッカー(主に代表戦)を見るようになっていくのですが、2005年といえばいわずと知れたコンフェデレーションズカップ。ブラジル戦で見せたあの幻のゴールは生涯忘れることはないでしょう。
それ以降彼の一挙手一投足にひきつけられていきます。

少しのちにW杯予選イラン戦で見せた代表初ゴール。それは玉田がサイドに流れ、ニアで大黒がつぶれて走りこんできた加地さんが押し込んだ彼に言わせれば「ごっつぁんゴール
しかししっかりと走っていなければそのゴールが生まれる事はなかったわけで。
そのころから私は気づくわけです。加地さんは攻めの時も守りの時も顔を出していることに。

そして背番号21のユニフォームを購入した私は、代表の試合を見に行くようになります。
2006年のキリンチャレンジカップスコットランド戦。彼は膠着した状況の中で、目の覚めるようなロングシュート(ミドルよりも長いという意味で)をポストにぶち当てます。しかも左足で。
そんなもんを目の前で見せられ、正直何が起こったか信じられなかった私ですが、この「意外性」、「ロマン」にやはり心を完全に奪われました。

ワールドカップ。ドイツとの親善試合でシュバインシュタイガーに削られてしまい、一時は帰国もやむなしといった状況で、彼はこんな言葉を記者の人に漏らしていました。
「俺、何があってもここに残りたい。ここで死んでもいいと思ってるんですよ」(Number:何号だろうwヒデの引退記事)
その後クロアチア戦で「QBK」を演出するなど、最後まで戦い抜きました。

ともすれば消極的に見える彼ですが、内に秘めた思いはこのコメントに表れているように非常に熱いものがあります。ただそれを垂れ流したりしないだけで。
じゃなければあんなに何回もサイドを往復するはずがありません。オフに傾斜のキツい砂浜に行って、胃の中が空になるまで走りこむなんてできません。

オシムが代表の監督になり、ジーコとはタイプの違う監督ですし、このブログでも述べたように加地さんの時代も終わりかなと思いきや、不動のサイドバックとして呼ばれ続けます。

バックパスばかり批判されることもありましたが、間違いなくトラップやショートパス等の足元の技術は向上していきました。(意識が変わったのですかね)今では楔のパスも入れられるように。

2006年最後の試合、アジアカップ予選サウジアラビア戦(札幌ドーム)彼は駒野が左サイドから上げたクロスにニアで飛び込みます。加地さんがつぶれ、我那覇が流し込む。
これはある意味ではオシムのサッカーを体現化するものであり、また、「右サイド:加地」の可能性を広げるものでもありました。やはり「ロマン」です。

2007年ペルーの監督に「ジャキン」という名前の選手としてチェックされていたり、アジアカップでは相変わらずの鬼守備を見せたり、欧州遠征ではやはり俊輔との共存を考えなくてはと再確認したりしましたが、やはり一番はエジプト戦。結果的にオシムジャパンのラストマッチになった試合ですが、結果的にオシムジャパンのラストゴールとなったのも彼のゴールでした。
左サイド駒野のクロスはFWを飛び越え右へ。そこに(後半半ばという時間帯ながら)長い距離を走ってきて、シュートを打つとみせかけてきれいにトラップ、折り返し。DFはブロックに行っているためスペースが生じ、キーパーの届かないところへ糸をひくように「左足で」流し込む。
これはオシムジャパンの象徴ともいえるゴールであり、さらに加地亮という選手を象徴するゴールでありました。

2008年、新監督に就任した岡田さんの方針もあり、ベンチを暖めることもしばしば。それどころか今まで練習ですらやったことがない左サイドでの出場も経験します。
これがどのような意味を持つのかはわかりませんが、本人も「勉強になる」と言っていたので今後に活かされることを期待したいです。


コンフェデのときはロナウジーニョにぶち抜かれ、ユニフォームをひっぱる悪い癖が出ますが、それでもガウショは止まらなかった。
以来彼は見違えるほど対人守備が安定していき、また、本当に危ないときはファールでとめるようになります。
当初はパス回しもおぼつかず、パスミスから逆襲を食らうこともしばしばでしたが、現在、足元の技術はかなりしっかりとしています。

そこに元来のスタミナお化け。そして意外性のある左足。癒しを与えるふんわりクロスが加わって、加地亮という選手が浮かび上がります。

こうしてみると、彼は代表にいながらにして成長が見れた選手といえるでしょう。そして私も彼を見ていくことによってサッカーが好きになり、代表に興味をもち、Jを観戦するようになりました。

私は忘れません。青きユニフォームに身を包んだ彼を。本当にありがとう。そしておつかれさま。



>◇加地亮選手が日本代表引退表明

ガンバ大阪DF・加地亮選手(28歳)が日本代表引退を表明致しましたので、
本人のコメントと共にお知らせいたします。

加地亮選手
「すでに今年3月、自分自身はケガをしている時期でしたが、
日本代表召集時に代表引退を決意したことを日本代表・岡田監督に伝えています。
メンタル的にもクラブと代表を両方、それぞれに強い気持ちで戦えなくなったこと、
そしてその為にどちらかに支障をきたすことにならないよう、
クラブに専念していきたいという結論に至りました。
これからもガンバ大阪のタイトル獲得の為に、強い気持ちでサッカーをしていきたいと思います。」

一部メディアにより報道される状況の上、
深夜にてHP発表となりました。なお、G-mailは深夜ですので、配信は明日となります。

ソース
http://www.gamba-osaka.net/