宇佐美貴史

都市伝説、ガンバユース最高傑作、ガンバの至宝、指名手配顔、うさみみ、うさぴょん、うさちゃん*1
一昨日、ドイツに旅立った彼について、「海外しか見ませ〜ん」とか「代表しか興味ありませ〜ん」という方々がフザけた講釈*2を垂れ始める前に、1サッカーファン、1ガンバサポとしてちょっと記しておきます。
万博に通うガンバサポーターの両親の元に産まれ、二人の兄の影響でサッカーを始めた彼の名を初めて耳にしたのは、ちょうど私がサッカーに興味を持ち始めた頃。
U―12だかなんだかの大会で、得点王になっただかブラジル相手に点を取りまくっただか、詳細は失念しましたが、なんか凄いことをしていた記事を目にした記憶があります。
ドイツW杯メンバー*3やJでも中心となって活躍する選手*4を排出しているガンバユースが凄そうだということは、駆け出しのサッカーファンであった私も知っていたため、彼がガンバユースに入ることは(当時の私ですら?だからこそ?)合点がいきました。
しかし前田俊介らの例を出すまでもなく、年齢別カテゴリーでの活躍は、必ずしもその後のサッカー人生の成功を約束するものではありません。そうした中で、いわば「予防線*5」の意味合いもあってのことでしょう、某巨大掲示板では都市伝説と呼ばれ始めます。
ここからしばらくの間彼に関する記憶はありませんが、ACLを制したちょっと後くらいだったと思います。08年の秋に彼が翌年にトップ昇格する予定であるとの情報を目にします。当時高1、翌年でも高2という年齢に驚くとともに、「来たか!」と感じたのを覚えています。

話は逸れますが、高校サッカー、所謂部活では不可能で、プロサッカークラブのユースチームで可能なのが飛び級です。
Jリーグ*6発足から約20年経ち、やっとガンバユース、マリノスユース、広島ユースを筆頭に、F東ユースやレッズユース、セレッソユース等、Jでも主力となる選手を排出するクラブユースが増えてきましたが、当然高校サッカー経験者もまだまだ多い。
ユースにはユースの。高校サッカーには高校サッカーの良さがあり、これは日本が持つ独特の育成形態となるかも知れません。家長昭博と同ポジションでガンバユースに上がれず、星稜高校から名古屋グランパスを経て、今や日本の大スターにまで上り詰めた本田圭佑のように。
話を元に戻しましょう。そのユースチームならではの飛び級により宇佐美は成長を遂げるのですが、当時のユースレポ等を見た記憶ではその都度宇佐美は壁にぶつかっていたようです。
しかし彼は与えられた課題をしっかりこなして、殻を破ってきました。
そうした背景があったため、プロに上がっても最初はちょっと時間がかかるだろうけど、3年もすれば出てくるかな。な〜んて考えたワケです。
しかし彼は1年めから輝きを放ちはじめます。若手中心で臨んだACLの消化試合、FCソウル戦に先発すると、倉田秋の見事なスルーパスに抜け出した宇佐美はGKとの1対1を冷静に沈め、プロ初出場、初先発、初ゴール。彼もまた、「持ってる」男だった訳です。しかしそのゴールが評価され、リーグ初先発となった続く鹿島戦では全く何もできず、前半で退きます。
私はガンバユースの記録やレポート、コラム等にはちょいちょい目を通すことがありますが、実際に試合を見ることはありません。従って、(動画等以外で)試合での宇佐美を見るのはこの2試合が初めてだった訳ですが、正直彼のプレーはゴール以外、ほとんど覚えてません。点こそ取りましたが、他の部分でプロの壁にぶつかっていたように感じます。例えばボールの受け方。比較的守備がヌルい草サッカーでも、きちんと考えて動かなければボールに絡めません。況んやプロレベルをや。
しかしその一方で、同世代の中ではやっぱり異質でした。U―17ワールドカップで日本チームは全敗。宇佐美も目立った結果を残すことはできませんでしたが、私は特にスイス戦(だったかな?)が記憶に残ってます。
宇佐美1人でひたすら外しまくったあの試合。しかしそのシュート1つ1つに意図がハッキリ見え、またその種類も多岐にわたるものでした。こんなに多彩なシュートをしかも置きに行くのではなく決めにいく。結果に繋がらなかったのは「ただ外れただけ」であり、これ(シュート)が彼の武器なんだと気付きました。思えばFCソウル戦のゴールも、バウンドの頂点をトーで押し込んでおり、キーパーのタイミングをずらしています。

2年め、自分の得意なシュートを打つためにはどうするか。ドリブルを始めるためにどう動くか、といった彼の戦いが始まります。今日はこのくらいで。

*1:コレは最近の内輪での呼び名

*2:既にスポニチが盛大に怪しい記事を書いてますが、あんな感じの、ね。全うなら全然良いんだけどね。

*3:稲本、大黒、宮本

*4:新井場、都築、二川、橋本等

*5:あくまでも私的感覚ですが…

*6:加盟条件にはユースチームの整備があったはずです